年相応の感情の在り方

知らない間に人を傷つけてしまうことがある。
伝えようとしていることが正論であると思っていると、相手の受け取り方を度外視して、
最善である解決策をどれだけ早く確定させるかを優先したくなってしまう。
相手の気持ちに向きあう時間を省いた時、傷つけてしまっていたことを後になって知ることがある。

パズルゲームのように考えて、人の気持ちをないがしろにしてしまう自分を、
どうしたらいいのだろうかと、どういう風に向き合おうかとずっと考えてきた。

ある時、自分の周りにいる人が優しい人であふれていた時期があった。
自分のことで必死になっている人はそこにはいなくて、みんなが周りを気に掛けることで円滑に物事を進ませている場所だった。
この輪を壊すことが出来るのはきっとこの中で僕だけだろうと思っていたから、
自分に出来ることは何でもしようと動いたり、言葉に棘がないように一層発言には注意をした。
そのくらい大切にしていた人間関係があった。
ただ、本当に心根の優しい人がそばにいると、自分の性根の悪い部分がよく見えて仕方がなかった。
僕には努力して意識しないと出来ない心配りや思いやりを自然体で行う人を見ると、
なんて自分は視野が狭く、冷めた心をもっているのだろうかと、改めて気づかされてしまった。
僕はいわゆる『良い人』ではないんだ。


いつからか言葉遣いにとても気を付けるようになった。
悪い言葉というものは確かに存在していて、そういった言葉は相手を傷つけるためのものでありながら、
自分自身を傷つける言葉でもある。
強い言葉を使った時に痛みを感じるようになってからは、
言葉に対する責任と、相手に受け取ってもらえるための言葉遣いを意識するようになった。
言葉を選ぶ速度が遅くなってしまったが、
自分の意志で人を傷つけるような愚かな言動はほとんど無くなったように思えるし、
間違った発言をすることも少なくなったように思う。

僕自身が年齢を重ねたということもあるだろうし、尊敬できる人に出会えたということもあるだろう。
大人になりたいという漠然とした想いが具体的になってくると、
自分の気持ちよりも相手の気持ちを尊重することの出来る大人になりたいという所に辿り着いた。
何をしていたって年齢は重なるものだから、自らの意志で重ねていかないと幼稚な精神性を持ってしまう。
自分が自分がと己の心にばかり意識を向けて、自分の心の為に言葉を選ぶようになってしまう。
それじゃあいつまで経っても人を傷つけてばかりだ。

そんな自分を変えようと大人になるチャレンジをしてみると早速障害に阻まれた。
自分の気持ちを上手く言葉に出来ないんだ。
時間をかけて話そうと思った言葉が、今度は不要なプライドで更に阻まれてしまう。
これは相手のための言葉なんだと思うと詰まってしまって上手く声に乗せることが出来ない。
自分のじゃない、相手の気持ちを中心に置いた時の言葉を、自分から出すのがすごく恥ずかしくて怖かったんだ。
こんなことも自然に言えない年齢を重ねた情けない自分を、誰かに見せてしまうことが怖かったんだ。
ただ、どもりながらでもいいから想いを声に出していかないと、本当に何も言えない人になってしまうと思ったから、
下手くそなりにとにかく言葉にしていった。

本当に小さなところでいうと、ありがとうって感謝の言葉を伝えるとかも相手のための言葉になるよね。
ありがとうって言葉は何回言ってもいいと思っているから、普段から言う癖はついているんだけれど、
意味合いが膨らんだ時にためらう瞬間っていうのが出てきたりしたんだ。
より大切なものになったというか。でも、大切になったからって言いにくくなる言葉にしてはいけないよね。
もっともっと自分の心に馴染んで、意識しなくても相手のことを尊重している自分の素直な気持ちが、
自然と相手の為の言葉であればいいと思うんだ。
目指すべき年相応の感情の在り方はそこなんじゃないかなって思うんだよ。
僕はそうやって年を重ねたい。

そのうちまた人を傷つけてしまうこともこれから先絶対あるはずで、
どうしてまた同じように傷つけてしまうんだろうって一人で悩んでしまうこともきっとある。
人を傷つけない代わりに、今度は自分がひどく傷ついたり、
誰にも会わなきゃ傷つくことはないんだと思ったら、次は寂しくなったりしてね。
ずっとそんなことの繰り返しなんだよね。不器用な人っていうのは。

この一ページを書くのに随分時間が掛かってさ、
書けば書くほど本当の自分の気持ちが見えてくるものだから、昨日書いたことが本当のことじゃなかったりして何度も書き直したんだよ。
あまりにも頭の中が二転三転するものだから何度か投げ出そうとしたりしたんだけども、
これを読んでくれる人がどうやってそれを受け取ってくれるだろうかって考えること自体が、
まさに相手の為の言葉なんだよなって思い出しながらなんとかここまで書いたんだ。
僕はいわゆる『良い人』ではないけれども、やれるだけのことはやってみようと思ってる。
大切にしたいものを、ちゃんと大切に出来るようにしたいんだ。
だから、自分の心の中に尊い感情があることを、たまに思い出してあげれるといいね。